よい文章を書きたいなら剣を捨て鎧を脱いでこん棒を振り回せ!『いますぐ書け、の文章法』

本紹介

ネットで文章を書き始めた日のことを覚えていますか?はじめた動機はなんでしたか?

「誰かが見てくれる場で誰にも縛られず思うがままに自己表現したかったから」と答える人が多いのが10年前だったのかもしれません。はじめはただ書くだけで良かったのでしょう。ですが次第に読んでもらえるような表現をしたいと思うようになったはずです。

もしくは逆に自己を晒したくはない、でも承認欲求はあるから自己を晒さないように表現をしていた人もいるかもしれません。

 『いますぐ書け、の文章術』では、読み手を意識するなら「思うがままに自己表現はできない」といいます。さらに「真に自由でオリジナルな作品は読んで意味が分からないもので、狂気そのもの」、加えて「結果的に自己が晒されるのが自己表現」とも続けます。

どうして真にオリジナルなものを読み手は理解できないのでしょうか?結果的に自己が晒されるとはどういうことでしょうか?以下で説明していきます。

読者が真にオリジナルなものを理解できないのはなぜか?

書き手がオリジナルを追い求めるのはいい。問題は文章の表現です。

読み手視点から考えてみましょう。読み手がオリジナルと認められるものは、既存の共有されたものから、ひとつ新しい視点を提示したものにすぎません。

なぜならオリジナルのあらゆるものから独立した真に孤立した存在であるなら、読み手が理解する上での取っ掛かりが一つもないからです。

知っている話の範囲から始まらないものを読む力はふつうの人にはありません。読み手に理解してもらうには、人類共有フォルダにある「語り継がれてきたもの」の中から生み出す必要があるのです。

歴史から断絶した完全なオリジナルを目指してはいけません。

過剰なオリジナル信仰をもってしまう理由

賞賛されたいからです。

「賞賛されたい」との感情が読み手を忘れさせます。今まで世界になかった発見を読み手が興味深く読んでくれるだろう、新しい世界を切り開いた書き手である自身を賞賛してくれるだろうと信じてしまいます。

今までのものにほんの少し新しい視点を提示する。物足りなく地味と考えてしまいます。

過剰な装飾をしたがる理由も気取りたい・賞賛されたいからでしょう。
「過剰な装飾された文章」より「使い慣れた言葉」で語ることが読み手に多くを伝えられます。

文章を書く上で使いなれない武器を捨てましょう。

全容を語るな、一つの側面に突っ込め

一部分を切り取って深く語るのは的外れになりそうで怖い。だから全体を知って全体を語りたい。もしくは外から冷静に語りたいのです。

全体を語っても独自の新しいものは生み出せません。
語り切れるかわからないが、「なにか一つのポイント」を自身が選んだ引っ掛かりを突破口に鋭く突っ込むしかないないのです。使い慣れた言葉で読み手に伝えようともがきましょう。

もがくことで文章に個人的な痕跡が残ります。それが結果としての自己表現になります。
つまり思い通りの話をして展開できるものでなく、隠そうと思っても晒されてしまうものが自己表現なのです。

文章によって己が晒されるのを恐れてすぎてはいけません。身を守る鎧を捨てましょう

今すぐ鎧と剣をすててこん棒で殴ろう!

充分な訓練を積み優れた剣を持って強大な敵に立ち向かう。死力を尽くして倒せば賞賛され、敗北しても納得がいく。理想はそうでしょう。

ただ現実には万全はいつまで待ってもきません。

調査の時間を十分にとれなくても
ありふれた内容でしかなくても
クオリティーの高いものにならなくても
まだ文章の書き方がわかっていなくても
頭の中にはいい考えがあるはずでも

準備ができてなくともがむしゃらに立ち向かって生み出したものが実力なのです。

独創性のある題材が偶然降ってくるまで待ち、時間を贅沢につかって書き上げる。書き上げた文章は魅力的であり納得のいくものになるでしょう。

ただ待たずに自分で掴みたくはないですか?もし掴みたいなら、
自身を守る鎧を脱ぎ、新たに手にした剣を捨て、使い慣れたこん棒を振り回しましょう!

読み手のためにがむしゃらに振り回す。振り回した結果に自己が残って晒されるのです。
「わかりにくい文章」「薄い内容」「内容を制御できずかっこ悪い」こう感じるかもしれません。

それでも前に進んだという事実が重要なのです。今すぐ書きましょう

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